なのるなもない教員の備忘録

タイトル通りです。

【読書】生徒の自立を促す指示。土居正博『指示の技術』

土井正博先生による『指示の技術』を読み終えた。

 

「一時一事」「端的に、具体的に」など指示の基本的な事項を抑えつつ、その先のビジョンを示している。

 

それは「指示を通して子どもを自立させる」ということ。(p.4)

教師が明確な指示をすることで生徒は困ることなく動くことができる。一方で、そのままでは児童生徒は成長はしない。なぜなら、明確な指示でないと動けないという可能性があるからだ。そして、指示が上手な人は世の中では少数派だろう。

土居先生はこう言う。

子ども達の次の担任になる教師が、指示のうまい教師とは限りません。

そう考えると、自分が担任している間の年度だけを考えて、できるだけ子どもがわかりやすい指示を出し続けて子どもを動かして満足していてはいけません。(p.63)

次の担任に限らず、児童生徒が社会に出た時に明瞭で明確な指示をしてくれる上司や先輩と出会えるとも限らない。そうした「分かりにくい指示」でも動けないと児童生徒自身が不利益を被ってしまう。

指示の仕方が悪い上司・先輩を責めることもできるが、指示の仕方が良くなる可能性は現実的には低い。そう考えると、「分かりにくい」指示でも児童生徒がその意図を汲み取って動けるようになることが、将来において彼らの力になるのである。

 

自分ならどうしていくだろうか。

そもそも、指示の基本を押さえることは、児童生徒に一対多数で向かい合っている教師にとって必要な力量だ。基本を身につけることは教師自身が大勢の生徒をまとめる力を身につけることになる。これは欠かすことができない。全体に伝わり、動かす指示を教員が出せないとクラスは簡単にぐらつく。

中学校の場合、様々な小学校から集まった生徒に対して、指示に対する生徒の理解度の足並みを揃えることもできるだろう。

何より「この先生の指示は分かりやすい」と生徒との信頼関係を築くことにつながると思われる。

 

そのような信頼関係を築いた前提で、「生徒の自立」にむけて、徐々に指示の基本を外していくという流れだろうか。

その時、なぜ指示のレベルを上げるのか、言い換えれば、わかりにくい指示を出すようになるのか説明していいかもしれない。これは生徒への趣意説明(インストラクション)にあたる。上記の、社会に出たときを想定したことを話して想像させるのがいいかもしれない。

その時に生徒はどんな反応をするだろうか

真面目な顔をして聞いてくれるだろうか。

それとも「いやいや、既に僕たち・私達は先生の『わかりにくい』指示で、動いてますよ?」と笑いながらツッコんでくれたら、生徒と良い関係が築けているような気がする。

むしろ、そのようなツッコミが起こりそうな関係性であったり、「わかりにくい指示をしている」というのがある種の「ボケ」として機能するぐらいに明確な指示を普段から出せていると私自身が自負していないと、指示の基本を外すことはできないかもしれない。私にとってはそれぐらい勇気がいる行為だ。

 

と、明確な指示ができているということに自信がない私は、指示の基本を外すことのハードルはなかなか高そうだ。

それでも「生徒の自立」を促すためには、自分の力量を言い訳にせず、自分が生徒の担任から外れたその先、卒業後のその先を見据えていないといけない。

 

「指示」について基本的なことを押さえつつも、「指示」の枠を越えて生徒の未来を考えるビジョンを教師に与えてくれる一冊。