なのるなもない教員の備忘録

タイトル通りです。

【読書】一貫した思想の教育実践に触れる。石川晋『「対話」がクラスにあふれる! 国語授業・言語活動アイデア42』

北海道の国語科中学校教員を長年勤め、授業づくりネットワーク理事長も務める石川晋さんの単著。

 

タイトルにある通り、子どもたちが対話をしていく様々なアイデアが紹介されている。しかし、この本の要はアイデア集であることやハウツーではなく、第1章、第2章に書かれているなぜ子どもたちに対話が必要なのかという教育観の部分と合わせて読むことで、一つの実践となる。

 

なぜ教室に対話が必要か

学校の場での「対話」の必要性について、石川さんは次のように述べている。

私は現在、子どもたちの世界は(例えば、端的に言えば教室の中は)、「異文化理解学習の現場」のようになっていると考えている。実際に外国人労働者の子女が多数教室にいるところもある。発達のアンバランスな生徒も貧困に苦しむ生徒もいる。一人一人の子どもたちの価値観や考え方に大きな差異があることはもはや前提だ。まさに「対話」が求められているのである。(p.26)

例えば、朝食が準備されている。家の中にパソコンがある。家の中に雑誌ではない本が何冊あるか。一人の子どもが「普通」だと思っていることが、他の子にとっても「普通」であると限らない。

現場に出て働き始めて学級や教室を俯瞰する立場になって、教室の異文化性を強く実感する。(もしかしたら、自分が子どもの頃も異文化が混在したのかもしれないが、その輪の中にいる者としては見えていなかった)
成長していく過程で対話の姿勢や技術が必要なだけではなく、学級という枠組みの中で共同生活を送る上で、対話を通した価値観のすり合わせや調整が必要なのである。

 

また、本書では語られていないが、石川さんが勤めてきた中学校の多くは小規模校などの所謂北海道の「田舎」の学校である。徐々に衰退していく地方社会のなかで撤退戦を生き抜かなければならない子どもの達の将来を案じ、協同して生きていけるようにそのつながりをつくろうともしているのではないかと感じた。そのあたりの考えは石川さんの単著『しなやかに生きていくこと』という本に詳しい。

 

学校でしなやかに生きるということ

 

価値のインストラクション(説明)

説明は、発問、指示と並んで教師の発話の基本的な事項である。では、その説明をどのレベルまで行えているだろうか。そこに石川さんは疑問を投げかける。教員が学習活動をしかける際、「取り組み方の説明(方法のインストラクション)」や「なぜこの順番で行うのか(意図のインストラクション)」は行うだろう。では、学習活動にどのような価値があり、その価値は生徒にどのような意味をもたらせるのか、そこまで踏み込んで生徒に話ができているだろうか。

私はオムニバス型授業になぜ私が取り組んでいるか、丁寧に「価値のインストラクション」をしている。一つ一つのパーツの意義についてはもちろん、なぜそのような授業構成にしているか、自らの教師としてのライフヒストリーから丁寧に語っている。
ワークショップ型授業のような「活動中心の授業」がなぜ必要化。教室のレイアウトを何故変えるのか。こうしたことの「価値のインストラクション」も極めて丁寧に行っている。

これまで教師は、自らの実践の文脈を学習者に語らず、核心部分を秘中の秘として担保しておこうとする傾向が強かった。しかし、新たな授業形態や授業方法に取り組んでいくためには、価値をより丁寧に「インストラクション」する必要が出てきているのである。(p.48~49)

生徒が学習や教員からのしかけの価値を理解できていなければ、活動主体でも上滑りしたものになってしまう。たとえ、価値を語った際に生徒が腑に落ちなくとも、その後の生活の中でそれに気づく時がくるかもしれない。石川さんは生徒の様々な教育活動の価値を丁寧に語ることを大切にしていることがわかる。


また、これは実践を追試する教員が肝に命じておかなければならない言葉でもある(石川さんも釘を刺しているが)

良いと思った実践を自分の学級に持ち込み、それが上手くいかない際、様々な言い訳が思いつくだろう。しかし、まず、大事なのは実践の価値を授業者がつかめて、生徒に語っているかどうかである。形だけを真似た追試では形骸化していく。

とりあえず良いと思った実践には手を出してみる自分にも当てはまることが多く、耳が痛い。追試をするときには、授業者がその実践が生徒たちにもたらす価値を説得的に語れるかどうかである。

対話をつくる環境をつくる

石川さんは喜岡淳治氏の『文学する学級づくり』から次の言葉を引用している。

喜岡氏は、小学校なら、「社会が得意な小学校教師のクラスでは、『社会』的な学級経営と社会の授業による相乗効果が生じ、算数の得意な小学校教師のクラスでは、『算数』的な学級経営と算数の授業による相乗効果が生じる」とする。そして中学校においても、「『国語』的な学級経営と教科としての国語の授業が、学級担任のクラスに相乗効果をもたらすことになる」と述べている。(p.51)

この言葉に深い感銘を受けた石川さんが、授業での学習活動のみならず、学級での教室掲示や机の配置も「対話」を念頭においたものになっている。様々な実践・アイデアが載っているが、共通した石川さんの教育観が存在していることがわかる。

一貫した思想

全ての実践に通じているのは、「対話」の必要性を強く感じている石川さんの思想が一貫している点である。

例えば「深谷式辞書引き学習」という個人作業中心になる学習活動も、「対話」という切り口から石川さんはある仕掛けを加えている。

「対話」という切り口から様々な教育活動を見ていけば、アレンジの幅は広いことが分かる(かつ、アレンジをしていると公言できるのは、石川さんの様々な原実践とそれを開発した先生方への敬意の現れだと思っている)

 

昨今、アクティブ・ラーニングの流れで対話を取り入れた授業提案は多い。では、なぜ生徒に対話をさせたいのか。対話は生徒に何をもたらすのか。そう問いかけてくる一冊。