なのるなもない教員の備忘録

タイトル通りです。

生徒に批評文を書かせるんだから、まず自分が書いてみた。※模擬授業(中学3年国語)

とあるイベントで、中学3年生国語の批評文を書く単元で模擬授業を行い、その一部を人に見せるというものがありました。

その準備の中で、授業者として自分でも批評文を書いてみました。

その批評文や書く前・書いた後の気づきを記録として残します。

 

 

中学校学習指導要領(平成29年告示)解説国語編での記載

「第3学年‐B 書くこと」に以下の記載があります。

(1)ウ 表現の仕方を考えたり資料を適切に引用したりするなど,自分の考えが分かりやすく伝わる文章になるように工夫すること。

言語活動の例として、以下の記載があります。

(2)ア 関心のある事柄について批評するなど,自分の考えを書く活動。

 

教科書ではどうなっているか。

手元に光村図書の中学校3年国語教科書があるので、それについて記載します。

www.mitsumura-tosho.co.jp

単元名:多角的に分析して書こう

目標:具体的な題材を基に、その価値などについて評価する。表現のしかたを考えたり資料を引用したりして、説得力のある文章を書く。

内容:例としてACジャパンの広告の批評文が載っています。観点(キャッチコピー、構図、制作者の意図など)を決めて、分析し、批評文を書いていくという流れです。

 

自分が実際に書いた批評文。

2つ書きました。広告の批評と楽曲の批評です。

【題材】広告 ACジャパン「寛容ラップ」(六四七文字)

 この広告が一番伝えたいことは何か。それは「寛容であろう」というシンプルなメッセージである。
 このようなCMだ。コンビニのレジでお金を出すのにまごついている高齢女性に対して、後ろに並んでいる強面の男性が「あなたのペースでいいんだ」と「ラップ」を仕掛ける。それに対して女性も「あなたのことを外見で誤解していた。」と「ラップ」で応戦。誰もディス(非難)らない「ラップバトル」が繰り広げられる。
 映像を見た多くの人は、イラッとしがちなあるあるに対して強面な男性がクレームをつけるのだろうと、その後の展開を予想する。その偏見に満ちた見方に対して、ユーモラスで予想を裏切る展開になっている。つまり、視聴者の固定観念を揺さぶっているのである。
 その揺さぶりで印象付けているメッセージは「たたくより、たたえ合おう」というもの。
多くの人は「寛容でありたい」と思っているだろう。しかし、そうなれない自分(達)がいる。些細なことで苛ついてしまう現実がある。分かっているけれどできない。そのような現実に対して、意外な展開でインパクトを残し、視聴者に改めて「寛容であること」の大切さを印象付けている。
 新聞広告では、下部にあるキャッチコピー「たたくより、たたえ合おう。」の一部分はひらがなで書かれ、韻を踏んでいることを強調し、シンプルなメッセージを更に印象強いものにしている。
 頭では分かっているけれどできていないことを言われるのは煩わしい。だからこそ、シンプルなメッセージをユーモアで包み込んで伝える。そのような優れた広告である。

 

 

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【題材】楽曲 chelmico「三億円」(八一〇文字)

 chelmico(チェルミコ)はMamikoとRachelによる女性二人のラップディオ。当楽曲は、二〇二一年十一月にデジタルリリースされたものである。ryo takahashiが手掛けた、サックスが鳴り響く印象的なトラックの上で、二人がユーモア溢れるラップを繰り広げる。

 Rachelはインタビューでこう答えている。「歌詞でも言ってるんですけど、今を生きてる人達って、こんなことしたいといったヴィジョンを抱きづらくなってるんじゃないのかな。コロナ禍もありますし、景気がよくないことも相まって、どんどん窮屈になってて。」(webメディア「TOKION」内インタビュー記事「コミカルかつアッパーな曲でchelmicoが導く、夢を見られるような世の中」より。二〇二一年十二月三〇日。)

 この楽曲が一貫して伝えているのは、そんな現状を打破し、もっと欲張って生きていこうという強い意志である。“コンビニで甘いもん買って それが贅沢か 寂しいな”“あんたはそこでchillってな(chillとはリラックスするなどの意味)ウチらは先に行くってば”と聞き手に発破をかけ、わたしたちは“もっと上もっと上”へ上がっていくのだと宣言する。まるで私達がリードするから付いてこいというかのように。

 フック(サビにあたる部分)では、“Give me 毎月三億円(非課税)”とユーモラスに繰り返す。三億円という金額は全く現実的ではない。だからこそ、二〇二一年年末時点でのコロナ禍による閉塞感に対して強烈なカウンターとして響く。更には新型コロナが五類感染症に移行し、世の中が徐々に回りだした現在においても、相変わらず身の回りではどうにもならないどん詰まり感や生きづらさに溢れており、時代を切り取った曲でありながら、現状打破を促す普遍性をもったラインとして機能している。

 閉塞感のある現状に何となく理由をつけて満足しなくていい。お利口で物分りがよい存在でなくてもいい。もっと欲張り、もっと不満を口にして、自分が望んでいく形の自分だけの幸せをつかむのだ。そう力強いエールをくれる楽曲である。

 

 

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2つ書いた意図やポイント

  • 少しでも(仮想の)生徒の批評文へのとっつきにくさを減らすため。教科書に載っている広告の批評文の内容が難しい(教科書に載っている文の例にありがち)と感じた。書くことへのハードルを下げるために、授業者自ら「広告」で批評文を書いた。
  • 広告の批評文の分析の観点は、教科書に載っている例を参考にした。
  • 楽曲を題材に選んだのは、批評文の批評の対象や題材は限定せず、生徒の好きなものでも可としたため。広告以外の題材として楽曲を選んだのは、生徒が楽曲のレビュー(批評)を目にする機会が多いと考えたからである。身近なところから題材を選ぶことで、これも批評文のとっつきにくさを減らす意図がある。
  • 楽曲の批評文にアーティストのインタビューを「引用」した。これは学習指導要領で書かれている「資料を適切に引用したりするなど」の一例として、引用を行った。
  • 実際に授業者が批評文を書くことで、指導をする際の生徒のつまづきを想定することができた。
  • 「先生も実際に書いたんだ!」と生徒が思うことによる書く意欲の若干のアップ(???)

 

実際に批評文を書いて気づいたことなど

批評文を書いてみようとしたが、これが難しかったです。

教科書も参考になりそうでならない。どこから手をつければいいか分からない。

批評文を書くにあたり、以下の書籍が参考になりました。

 

 

書評家である三宅香帆さんが「推し」についての気持ちを言葉にまとめるための文章術本。書評家が書いた文章術の本であること。生徒が自分の好きなものを批評の対象とする可能性を考えて、この本を読みました。

三宅さんは言語化にあたり以下のポイントを挙げています。

  • いかに感情を細分化した感想にできるか。
  • ポジティブな感情の言語化
    • ①(共感の場合)自分の体験との共通点を探す
    • ②(共感の場合)好きなものとの共通点を探す
    • ③(驚きの場合)どこが新しいのかを考える
  • ネガティブな感想は個人の経験や体験に基づいていることが多い。一般化しないこと。そもそもネガティブな感想の言語化は難しい。
  • ネガティブな感情の言語化
    • ①自分の(嫌な)体験との共通点を探す
    • ②(自分が既に)嫌いなものとの共通点を探す
    • ③どこがありきたりだったのかを考える
  • 読者を決める
  • 伝えたいポイントを決める
  • 修正を前提に文章を書く。何度も修正する。

言語化とは、いかに細分化できるかどうかなのです。(p.73)

 それは感想のオリジナリティは細かさに宿るからです。

 たとえば、ライブの感想に「最高!」という言葉しかでてこないという悩みは、ライブの「どこが」最高だったのかを言えたら解消されます。ライブで「この曲が」演奏されたのが嬉しくて、「この歌詞が」あらためて響いて、「この演出が」自分の心を揺さぶった。そんなふうに、最高だった点を細分化さえできれば、実は語彙力なんてなくても、あんたのオリジナルな感想になり得るのです。

 あなたの心に、どこが響いたのか。それを細かく挙げることによって、あなたの感想はあなただけの言葉になります。(p.77)

 

「感動」「良かった」だけではなく、「何が」「どの場面が」「誰が」「どのセリフが」「どの感情が」良かったのか、もしくはモヤモヤしたのか、分からなかったのかを「細かく」言葉にすることが大事だという。

これを参考に、できるだけ細分化することを心がけました。

例えば、楽曲であれば、自分が好きなのがトラックなのか、歌詞なのか。歌詞だとすればどのラインなのかを細かく掘り下げることを行いました。そこにインタビューでのコメントを引用することで文章にまとめることができました。

 

以下、雑感。

  • 生徒が1、2年で様々な文種の文章を書いてきたと仮定して、「批評文」はどの文種の延長線上にある文章なのだろうか。説明文?感想文や鑑賞文?その中間?
  • おそらく生徒は批評文に触れた機会が少ないはず。その経験の差をどう埋めるのか。読んだこともない、読んだ機会が少ない文種の文章を書くことが可能なのか。多くの批評文を読むことで、「ああ、こういうタイプの文章なんだ」という目星をつけてから、批評文を書くことに移行するのがよいのでは?(とすると、3年間の読書指導などが大事なはず)
  • 「分かりやすい」文章を書くにあたり、細分化は感想文や鑑賞文を書く際に役立つ。むしろ、それらの文章を書くときから意識付けを行いたい。
  • そもそも自分が書いたこの2つの文章は「批評文」なのか……?

 

模擬授業の評価は?

ノーコメントで……