なのるなもない教員の備忘録

タイトル通りです。

【読書】ちきりん『自分の意見で生きていこう』

 

以下、メモ。

  • 正解がある問題は調べて、正解にたどり着く。
  • 正解がない問題は、ポジション(賛成・反対)を決めて意見を表明する。

→正解がある問題かどうか間違いやすい。正解がない問題なのに、正解がある問題だと誤認してしまうと、ずっと終わることのない調査を続けてしまうことになる。

正解がない問題だと思った場合は、自分の立ち位置を明らかにして意見を表明することが大事。そして、世の中にある大半の問題は「正解がない問題」である。

 

意見には「正しい意見」も「間違った意見」も存在しない。「正しい・間違い」が存在しているなら、それは「正解のある問題」だから。

 

前述したように「意見を表明する」とは、「自分はどのポジションにいるのかを明確にすること」です。なので、ポジション、すなわち、立ち位置が明確になっていれば「意見」で、発言を聞いてもどこに立っているのかわからない場合は「反応」です。

→自分がしていることは、「意見」なのか「反応」なのかをまず区別することから始める。

 

「反応」は「他者の意見の否定」や「他者の意見への質問」の形をとることが多い。

 

「反応」では人はついてこない。「意見」を言う人に人はついてくる。

 

意見を表明することの利点・メリット

  • 世の中の大半の問題は「正解のない問題」。それに対して自分の頭で考え、判断し、意見を出さなければならない。(延命治療、子の進学問題など)
  • 意見の集合体がその人の自我や人格を形成する。(意見がない状態で他の人と差別化を図ろうとすると、無茶で突飛な行動をすることで目立とうとする人が現れる。)                                                                   
  • ネットでの意見の表明の蓄積が「ネット人格」となって、履歴書(学歴、仕事歴)に取って代わる時代がくるかもしれない。
  • 意見を表明することは「自己決定」をすること。それは自分の人生を自分で決めることにつながる。意見を表明することは自分の人生を選び、生きるということ。

 

ここで大切になるのが、とにかく「自分はこれが好き!」と思える分野や生き方をきちんと選んでおくこと。なぜなら人は、自分が大好きなことならトコトン考え尽くせるからです。

反対にいえば、考えるのが面倒になるようなことは、たいして好きでもないことなのです。たいして興味がないから、考え続ける意欲が続かないのでしょう。(p.153)

→まずは自分の好きなところから考え尽くすことがトレーニングになる。

 

このため、「意見を言えるほど深く考えてもいないし、みんなの前でポジションをとるのも怖い。しかしなにも言わないと存在意義を疑われる。とはいえポジティブな反応だけでは賢そうに見えない」と考える人は、ほとんどの会議で「ネガティブな反応」を繰りだし続けるのです。(p.205)

→否定的な反応をすることで「他の可能性を考えられている賢い自分」を演じることができる。しかし、反応にすぎず、意見ではない。多くの場合、会議や意見を出している人の足を引っ張ることになる。賢さを演じずに、素の自分を出すこと、つまり意見を表明することを恥ずかしがらない。

 

つまり「自分が語彙力や表現力がなさ過ぎる」と嘆く人に足りないのは、多くの場合、国語力や作文能力ではなく、「考える」習慣と考える時間そのもののほうです。(p.297)

 

その他

意見を求められているときと、傾聴をしてほしいときの判別をする。

傾聴をしてほしいのに意見を表明しても「自分の話を聴いてほしいだけなのに……」となることが多い。(だから、コミュニケーションは難しい。)相手は意見を求めているのかを慎重に判断する。自分の意見をどうしても言いたい場合は、十分に話を聴いた後に「自分の意見があるんだけれど、聴いてもらってもいい?」と断りを入れる。

 

授業との関連

  • 教科書の意見文を読み、問題提起に対して意見文を書く。
  • 国語で「答えのない問題」を設定し、意見文を書く。
  • 道徳で「答えのない問題」を設定し、意見を表明する。そこから議論や対話の形をとる。哲学対話?
  • ディベート(またはマイクロ・ディベート)を行う。