なのるなもない教員の備忘録

タイトル通りです。

【読書】話を丸ごと聴く。ケイト・マーフィ『LISTEN‐‐知性豊かで創造力がある人になれる』

 

話を聴くってどういうこと?と悶々としたときに手に取った一冊。

「聴く」ことによってどのようなことが得られるか、また話を聞かないことでどのようなことが失われているのか、様々な事例を通じて「聴く」ことの本質に迫った本。

 

印象に残ったのは、カトリック神学校では告解(信徒が神と司祭の前で、犯した罪を告白すること)を聴く神父がそれを聴くためのトレーニングを行っていないという点。

カトリック神学校では、告解を聴く訓練はほとんどいていないとゴメス神父は言います。
彼にとって告解を聴く準備としていちばんいいのは、自分も定期的に告解することです。「謙虚な心で他の司祭の前に座り、自分の罪を告白しなければいけません。そうすることで、告解を聴く立場にいるとき、深い思いやりを抱けるのです」(p.467)

神父が自ら告解を行って得られるのは「自分の話(罪の告白)を遮られることなく丸ごと聴いてもらえた」という体験だ。
自分自身の話を十分に聴いてもらえたという体験が、今度は聴く側に回ったときに人の話を丸ごと聴けるという行動をつくるということなのだろう。

 

そこで浮かんだアイディアは、話を聞けない人へのアプローチは、まずはその人の話をその人が満足するまで聴いてあげることではないだろうか、ということ。話を聴いてあげることで、次は話を聴いたこちらの言葉にも少しは耳を傾けてくれるのではないかと。そんなことを考えた。

また、話を聴いてもらった人が、今度は聴く側に回ってあげる。または、他の人の話を聴いてあげる。そのような「聴き手のリレー」を繋げられると良いなと思った。